塾長から学生達へメッセージ

こんにちは!改めまして当ホームページをご覧いただきありがとうございます。

塾長の西川です。

どうしても「先生」や「塾長」、「早稲田卒」という肩書があると、堅苦しいイメージが付いて回りますが、中身はいたって普通の人間です。全然偉くもないですし、全然すごくもありません。

英語以外の科目、特に理系科目については中学生の頃の知識も忘れていますし、飲みに行けば翌日二日酔いで「気持ち悪い…」と1日中苦しんでいることもありますし、猫の動画をいつの間にか30分見続けていることもありますし、学生の頃は「大人は何でも知ってる」と思っていましたけど、30歳を過ぎた今でも世の中分からないことだらけです。

学生の頃はまさか私が塾を経営するなど夢にも思っておりませんでした。

私はもともと塾講師を目指していたわけではなく、大学卒業後はサッポロビールというビール会社に就職し、転職して英語講師となり、そして2019年にこの塾を立ち上げました。そしてこれまでに何百人という学生達を指導させて頂きました。

今、塾長という立場で勉強に取り組む学生達を見ていると、そのひたむきさや葛藤している姿に学生時代の自分を重ねてみたり、この子達はどんな大人になるんだろう、と想像してみたり、この子達が大人になる頃にはどんな社会になっているんだろう、と思いをはせたりします。

当塾のコンセプトとして、「成績第一主義」を掲げておりますが、正直に言ってしまえば、テストの点数や学歴は、人の優劣を決めたり、人の幸せを決めるものではありません。

勉強が出来ないからといってその人はダメな奴なのか、学歴が低いからといってその人は幸せな人生を歩めないのか、といったら、絶対にそうではないと私は言い切ります。

逆に、勉強が出来る・出来ない、学歴が高い・低い、で人を判断するような人間は大嫌いです。それでも、私の塾は「成績第一主義」を掲げて経営をしております。

このページではそんな私がどういった想いで塾を経営しているのかについてや、学生達に向けた想いを、堅苦しい肩書きを降ろして、ざっくばらんに綴ろうと思います。

恐らくこのページを見て頂いているのは塾探しをしている保護者様がほとんどかと思われますが、「こんな人が塾をやっているんだ~」と知って頂けるよう、ぜひ生徒様にも読んで欲しいと思います。

少し長くなりますが、ちょっとだけお付き合いください。

皆さんは勉強が好きですか?

中には「勉強楽しい!」という人もいるかも知れませんが、私の経験上、それは超レアなケースです。

実際私は学生時代は勉強が大嫌いでした。退屈で、強制的で、興味も湧かない科目についてなぜ学ばなければならないんだ?といつも思っていました。

だから、皆さんがもし、「勉強つまらない」「勉強嫌だ」と思っていても、それは普通のことです。きっと、君たちのお父さん、お母さんも、学生時代同じことを思っていたかも知れません。

勉強しなきゃいけないのは分かってるけど、YouTubeやインスタを見たり、ツムツムなどのゲームをやってしまう気持ちもとても分かります。部活で疲れて寝てしまうことだってあるでしょう。私だって学生の頃、ポケモンやドラクエに没頭し、部活に明け暮れていましたから。

だから私は遊ぶことも、部活に没頭することも、ゲームをやることも、一切否定しません。それはそれで、学生時代の大切な想い出になります。でも、それに加えて、勉強にも取り組んで欲しいと思っています。

「さっき勉強嫌いだった、って言ってたじゃないか!」と文句が聞こえてきそうですが、正確には、ある一時期は勉強を全くしない時期がありました。

確かに、勉強、というか、学校で学ぶ科目については疑問に思うことは多々あります。例えば、古典や漢文はなぜ学ばなければならないのか?今でも分かりません。

しかし、「勉強に取り組むこと」の中に、たくさんの学びがあります。

勉強に取り組んだ中で、忍耐力も鍛えられましたし、集中力も鍛えられましたし、読解力も鍛えられましたし、情報収集力も鍛えられましたし、自分を律する力も鍛えられましたし、何より自分に自信が持てました。

そして学生の皆さんに知っておいて欲しいのは、学校の科目の「知識」よりも、こういった「能力」や「自信」を身に付けることの方がよっぽど大切なんです。

学生の皆さんもいずれ社会人になり、会社で働いたり、もしかしたら私のように自分で事業を立ち上げたりするかも知れません。

ひと昔前はなるべくいい大学へ行き、なるべくいい会社に勤め、そこで一生懸命働くことが王道であり、また安心して暮らせる最も一般的な生き方でした。

しかし、今現在はどうかというと、かつては「絶対に潰れない」とされていた会社が潰れたり、コロナによって大ダメージを受け、従業員に給料が払えなくなったり、解雇されたり、また「より良い環境」や「自分のやりたいこと」を求め、転職することが当たり前になり、私のように独立して事業を始めることも珍しくありません。

その時に必要なのは、知識ではなく、

「他にやりたいことを我慢して取り組む忍耐力」

「いざとなった時の集中力」

「モノゴトの背景や人の意見をちゃんと理解出来る読解力」

「自分の言いたい事を的確に表せる表現力」

「分からないことがあった時の情報収集力」

「モノゴトを多面的に捉える仮説構築力」

「辛いことや失敗があっても、最後までやり抜く力」

「やってみよう、と一歩踏み出す力」

といった「能力」です。

スポーツ系の部活であれば、「忍耐力」や「集中力」、「やり抜く力」は身に付くかもしれません。しかし、「読解力」や「情報収集力」や「仮説構築力」などは身に付かないでしょう。

だから、両方一生懸命やるんです。

学生のうちに、勉強に取り組む中で、こういった能力をたくさん身に付けるんです。

ハッキリ言いますが、私は早稲田大学に合格しましたけど、それまでに覚えた日本史の知識や古典や漢文の知識なんて、今ではなんの役にも立っていません。

「勉強って何の役に立つの?」「勉強って何の意味があるの?」とモヤモヤを抱えている学生もいるかもしれませんが、そのモヤモヤを晴らしてあげます。「学校の勉強で覚えた知識」は、将来役に立つことはほぼありません。

「ほぼ」と言ったのは、私の場合のように英語の指導者になるのであればその知識は役に立ちますし、微分積分の知識なども職業によっては役に立つこともあるからです。

だから、「何の役に立つのか?」とか「何の意味があるのか?」と考えることは辞めましょう。

「学びというのは、自分が学んだことの意味や価値が理解できるような主体を構築していく生成的な行程です。

学び終えた時点ではじめて自分が何を学んだのかを理解するレベルに達する。

そういうダイナミックなプロセスです。

(中略)

ですから、一度学ぶとは何かを知った人間は、それから後はいくらでも、どんな領域のことでも学ぶことができます。

というのは、学ぶことの本質は知識や技術にあるのではなく、学び方のうちにあるからです。」
※「下流志向(内田樹)」から引用

少し抽象的で難しい言葉だったかも知れませんね。

つまり、学ぶ前からその意味や価値、そして結果など誰にも分からないんです。

私も学生時代、心を入れ替えて勉強を始めた時、「取り組んでいることの意味や価値」、「学んでいることの意味や価値」なんて何も考えていませんでした。しかし、学ぶことを辞めず、諦めず、念願の志望校に合格し、そしてそれを何年後かに振り返った時、初めて「学びの意味や価値」を体感することが出来たんです。

繰り返します。

勉強について、「何の役に立つのか?」とか「何の意味があるのか?」と考えることは辞めましょう。そしてそういった思考に逃げることも辞めましょう。

そんなこと考えずに、もし目の前にやらなければならない宿題があるのなら、1週間後に迫った試験があるのなら、1年後に迫った受験があるのなら、それに一生懸命取り組んで下さい。その取り組む過程の中で、あなたの将来にとって必要な様々な「能力」が身に付きます。

そしてもう一つ、「自分はどうせ出来ない」なんて絶対に思わないで下さい。

私は先程、学生時代、勉強が大嫌いだったと言いましたが、これは本当です。

高校2年生の時の学年順位は280人中270番台、偏差値は36くらいでした。染髪禁止の学校でしたが、見事に茶髪でしたし、ピアス禁止でしたが、ピアスも空けておりました。反抗期真っ盛りだったわけです。

そこから猛勉強の末、大学に合格したわけですが、今でもたまにこう言われることがあります。

「勉強出来ていいですね」

ハッキリ言ってムカつきます。最近ではもう慣れたので、笑顔で受け流していますが。

私がどれだけ勉強をしたか、どれだけ頑張ったか、その人は知らないからです。

運動神経や筋力、体格の差が結果に影響するスポーツと一緒で、脳の処理速度、記憶力にも個人差があるのは確かです。スポーツの世界ではどれだけ努力しても、上に上がいますし、天賦の才能には敵わないこともあります。

忖度無しに言いますが、勉強にもそういった個人的な差があるのは事実です。

しかし、「勉強出来ていいですね」という人には、ぜひ私と同じように、寝る・食べる以外の1日10~15時間近くの勉強を、まず1年半、500日くらい、毎日続けてみて下さい、と言いたいです。それをやってみてから、「勉強出来ていいですね」と言ってもらいたいです。

ちょっと熱くなってしまいました、すいません。

つまり、私が言いたいのは、「やる前から『自分は出来ない』なんて絶対に言うな」ということ、「それは『出来ない』んじゃなくて『逃げてる』だけじゃないの?」ということです。

今もし、「自分は出来ない」と思っている人は、自分にこう問いかけて下さい。

「とことん勉強に取り組んで、とことんやり切ったか?」と。

やる前から、もしくは中途半端に取り組んだだけで、「自分は勉強出来ないんだ」って決めつけるのはおかしな話です。それは「出来ない」ではなく、「やってない」んです。やる前から「自分は出来ない」と決めつけることは、とても残念で勿体ないことです。

先程も言いましたが、勉強に取り組む中で様々な能力を身に付けることが出来ます。しかし、ひたすらに楽な方、楽な方へ逃げることも出来ます。私自身も中高の約4年間はひたすら楽なことに逃げ続けていました。

けれど、社会人になって、大きな会社から小さな会社まで経験し、独立して事業をやっている今、ハッキリと言えるのは、何の能力も持っていなければ、いい給料も貰えないですし、自分の力でお金を稼ぐことも出来ません。社会で活躍できる場が非常に狭まってしまうということです。

とは言っても、社会の話は学生にとってはまだ遠く、想像出来ないと思うので、

とにかく今5教科で200点の子は300点を、300点の子は400点を目指して取り組んでみて下さい。全部をやるのが大変なのであれば、英語だけでも+20点を目指して取り組んでみて下さい。

100mのタイムを1秒縮めることは簡単ではありません。サッカーの2部リーグから1部リーグへ昇格することも簡単ではありません。

けれど、中学5教科で+100点を取ること、英語で+20点を取ることは簡単です。「これを覚えれば点が取れる」という「道筋」と「答え」があるからです。

だから、机に向かって、教科書を何度も書き写し、単語を覚え、文法を覚え、ワークを使って問題を何度も解いてください。「これぐらいでいいでしょ」ではダメです。それはいつもの自分より「ちょっと」頑張っただけです。本番で100%の力を出したいのであれば、事前に150%やらなければいけません。

ガチで5教科+100点を取るのであれば、きっとテスト前1週間、毎日最低5時間くらい勉強が必要でしょう。5時間×7日間=35時間。もしこの35時間を必死に取り組むことが出来て、点数を伸ばすことが出来れば、きっとめちゃめちゃ自信が付きます。

「出来るじゃん」って思えます。

いつもの景色が変わります。

友達の反応が変わります。

先生の反応が変わります。

親の反応が変わります。

一生のうちのたった35時間で、あなたのその後の人生が変わります。

私のように1日10~15時間をいきなり毎日やれとはもちろん言いません。けど、テスト前の1日3時間~5時間、まずは何も考えず、勉強に取り組んでみて下さい。勉強の意味なんて考えないで下さい。やってみた後に、取り組んだ意味がきっと分かりますから。

「取り組んで結果が出なかったらどうしよう」なんて心配も要りません。もし本気で取り組んだのであれば、その中で素晴らしい能力がたくさん身に付いていますし、やった自分を自分で認めてあげればそれでいいんです。

そしてそうやって必死になった経験は必ずどこかで活かされます。勉強を社会や将来など、遠い未来に結びつけて考えないようにしましょう。考えても答えは出ませんし、時間の無駄です。

それよりも、「今の自分」から少しでも成長するために、能力を付けるための手段として、何も考えず、がむしゃらに目の前のことに取り組んで下さい。大切なのは、「遠い未来の自分」ではなく、「今の自分」です。

私は、私の元に通う生徒について、実は点数のことであまりうるさく言いません。だって、もし点数が低かったとしたら、それは本人の努力不足が原因かも知れませんが、指導者である私の責任でもあるからです。

一所懸命やったにも関わらず、点数が出なかった場合には私は何も言いませんし、むしろ申し訳ない気持ちになります。自分の指導を見直すべきだと反省します。しかし、そもそも一所懸命取り組んでいないのであれば、それは厳しく言います。

一つは、先程も言ったように、ダラダラと過ごしているだけでは何の能力も身に付かないまま大人になってしまうからです。貴重な学生時代に、スポーツでも趣味でも勉強でも、どれだけ必死に取り組めたかという経験が、その後の未来の自分に大きく影響を与えます。せっかく私の元に通って来てくれているのに、中途半端にダラダラと過ごし、何も身に付けさせないまま卒業させるわけにはいかないんです。

もう一つは、君たちのお父さん・お母さんが一生懸命働いて稼いだお金を頂いているからです。これを読んでくれいている学生の皆さんも、もしかしたらお家の人に「勉強しなさい!」って言われてうんざりしているかも知れませんね。でも、なんでそんなにうるさく言うんでしょうか?

私は年齢で人を判断しませんし、子供が劣っていて大人が優れているなんてことも思っていません。私は先生と呼ばれますが、偉くも何ともありません。学生よりちょっとだけ人生を長く経験しているだけです。

ただ、もし子供と大人の違いを一つあげるとすれば、それは「お金を稼いでいるかどうか」の違いです。

キレイごとなしに、お金が無ければ人は生きていけません。学生の皆さんはまだお金を稼ぐ必要はありませんが、大人はお金を稼がないと自分たちの生活を成り立たせることは出来ませんし、君たちの学費を払ったり、ご飯を作ることも出来ないんです。

そして働く中では、たくさんの大変なこととか、ムカつくこととか、やりたくないこととか、眠いこととか、理不尽なこととか、学生達が勉強を遠ざけているのと同じようなことがたくさんあるんです。それでも、働いてお金を稼がないといけないんです。君たちもいずれそうなります。

だからね。君たちのご両親が伝えているのは、「勉強しなさい!」じゃなくて、「何もせず、ダラダラしてるんじゃない!」ってことなんです。

先程も言いましたけど、ダラダラしているだけ、楽ばかりしているだけでは何の能力も身に付きませんし、能力を身に付けないまま大人になっても高い給料は得られません。自分のやりたいことも出来ません。「あーしておけば良かった、こーしておけば良かった」と後悔ばかりの人生になります。

それを、人生の先輩である君たちのご両親は経験しているから、君たちに言っているだけなんです。だからきっと、成績に伸び悩んでも、もしそれが君たちが一所懸命取り組んだ結果なのであれば、ご両親は怒らないし、うるさく言わないと思いますよ。むしろ、「どうしようか?」と一緒に考えてくれるはずです。

話を戻して。

そうやってご両親が一生懸命稼いだお金を頂いて、私は指導するわけです。だから、真剣になります。

そういった想いで塾をやっているので、「いや、親が金払ってるだけで自分は行きたくないし、やりたくないし」というのであれば、塾など通わず、ぜひ自分の人生を歩んで下さい。先程も言いましたが、「勉強することが偉い」とか、「勉強出来ることが凄い」とかではないんです。人生とはそんなちっぽけなものでも、単純なものでもありません。あなたが望む人生があるのであれば、全力でその人生を一所懸命生きて下さい。それはそれで素晴らしいことです。

もし「勉強してみよう」と勇気を持って臨むのであれば、私はそれを応援します。ただ、指導内容を一生懸命考えて、分かりやすく伝える努力は常にしていますが、それ以上に大切なのは、授業態度や宿題をちゃんとやってくることです。

授業態度については、何度も言う通り、私が偉いから、年上だから、敬意を持って黙って授業に臨め、ということではありません。

90分~120分間、「モノゴトに集中して取り組む力」、「人の話をちゃんと聞く力」、「聞いたことを活かして問題を解く力」を身に付けて欲しいんです。

学生の皆さんもいずれ分かることですが、「大人や、特に先生は一通りのモノゴトを知っていて、一通りのモノゴトはある程度出来る」と今は思っているかも知れませんが、全くそうではありません。私は今でも知らないことだらけですし、出来ないこともたくさんあります。

そして、「集中してモノゴトに取り組めない大人」「人の話が聞けない、理解出来ない大人」「やるべきことをやれない大人」「勇気を出して一歩踏み出せない大人」はたくさんたくさんいます。「大人になったら何かが変わる」とか、「大人になったら色々出来るようになる」なんて絶対に思わないことです。

今のあなたの延長上が、そのまま大人のあなたになるだけです。だから、こういった能力は今のうちに訓練しておく必要があります。「モノゴトに集中できない」「すぐに諦める」「人の話が聞けない」「自分の言いたい事を的確に表せない」「やると言ったことをやらない」、こういった大人は恥ずかしい思いをしますし、相手にされなくなります。

また、宿題についてですが、まず、どんなに良い先生の授業を受けようが、どんなに評判の良い塾に通おうが、それだけで成績が上がることは絶対にありません。1回聞いただけ、1回解いただけでモノゴトを覚えられる天才は早々いないんです。

だから、塾に通っても宿題をやらなければ99%通ってる意味はありません。また、宿題をやったとしても、ほとんど答えを写してくるようでは99%意味はありません。分からないものがあっても、教科書にヒントが載ってないか調べたり、忍耐強く、諦めずに最後まで取り組むんです。

もし間違えてしまっても、「次は間違えないぞ」と何度も何度も読んで書いて覚えるんです。それでも分からなければ私が分かるまで丁寧に教えます。「なんでこんなのも分かんないんだ!」なんて絶対に言いません。それを教えることが私の仕事です。

あと、宿題を授業前ギリギリにやって来る子もいますが、それも辞めた方がいいです。せっかく授業中に理解出来たことも1週間後ではほとんど忘れていますし、何事もギリギリになって焦ってやる癖が付いてしまうからです。

こういった授業態度や宿題については私は真剣に学生達に向き合います。時には泣いてしまう子もいます。

でも、知っておいて下さい。

私は学生達に厳しい言葉をかけたくありませんし、何より嫌われたくありません。ホント―に嫌なんです。学生達に厳しい言葉をかけるのも、凹む顔を見るのも心から嫌です。出来れば楽しく、それぞれの目標に向かってやっていきたいと思っています。

しかし、時にはごまかしたり、楽な方へ逃げ続ける学生もいます。このまま放っておいたらマズい、と思う学生もいます。その時、授業態度が悪いことについて、宿題をやってこないことについて、学生達に何て言葉をかけようか、どんな態度で臨もうか、言葉を発する1秒前までいつもドキドキ考えています。

それでも、私は言うべき時はストレートに言いますし、嫌われるの覚悟で厳しいことも言います。その時、単に「ムカついたり」、「怒っている」わけじゃない、ってことなんです。

先程、「出来れば楽しく」と書きましたが、皆さんに知っておいて欲しいのは、「楽なこと」と「楽しいこと」は違います。私だって楽をする時はあります。半日近くソファでゴロゴロしていることもありますし、温泉に行って昼間からお酒を飲んでのんびりしていることだってあります。楽なことがないと、人間は息が詰まってしまいます。

しかし、「楽」だけをしていては「楽しい人生」は送れません。それはきっと学生の皆さんも分かっているはずです。YouTubeや韓国ドラマを見ていたり、インスタを眺めていて、気付いたら朝になっていて、夕方に起きて、「ヤバイ」って思ったことがあるはずです。そう、そんな生活をずっと続けていたら本当にヤバイんです。

ヤバイというか、少なくとも「自分の望む人生」を自由に歩むことは出来ません。嫌なことから逃げ続けている人にはひたすら嫌なことが降りかかってきます。だから、「やる時はやる」んです。「楽な時間」があってもいいです。でも、「やる時はやる」。それも一つの大切な能力です。

最後に、これは勉強とは関係ありませんが、ぜひ学生時代にはたくさんの友達を作って下さい。そして出来れば、その友達をみんな笑顔にして下さい。

先程、「お金なしに人は生きていけない」ということを書きましたが、では「そのお金はどうやって手に入れるのか?」と言えば、それは「人からいただく」のです。この世の中のあらゆる人や会社は、「人を喜ばせたり」「人を楽しませたり」「人から感謝されること」でお金をもらっているんです。

「人を喜ばせる能力」、「人を楽しませる能力」、「人から感謝される能力」はかけがえのない能力です。そういった能力があると、もちろんお金を稼ぐことにも繋がりますし、きっとあなたの周りには常に人がいて、きっと幸せな人生を歩めるはずです。

長くなりましたが、こんなことを想いながらやっている塾です。

読んで頂きありがとうございました。

皆様にお会い出来るのを心待ちにしています。